障害のある子どもに関わる支援者で、上質な専門性を積み重ねているのはガイドヘルパーだろう。
学校やデイサービスのスタッフの多くは、上手くやれるように「決められた枠とルール」の中で、障害のある子どもと関わるプロレス的な支援を日々繰り返し、障害のある子どもと教員、支援者しかいない空間で、その子どもの「障害」と向き合い、自分達は「障害のある子ども」の専門家だと勘違いを積み重ねている。
酷い場合になると、子どもの可能性を伸ばすと称して、自分たちが勝手に描いた「成長する子ども像」に、子どもたちを集団で誘導し、その流れに乗らない(乗れない)子どもを「課題のある子ども」とし、頭のよさそうな善意の人の顔で「障がい児への対応は難しい、専門性が必要だ」と言ってくれる(-_-;)
専門性とはなんだろうか?
ここでは「特定の領域に関する高度な知識と経験のこと」としておこう。
「特定の領域=障害のある子ども」に関する高度な知識と経験となるのだろう。
それは障がいのある子どもしかいない集団の中での「障害」に対しての高度な知識と、障害のある子どもしかいない集団での経験を指すのだろうか?
それは、障害のある子どもは生涯を「障害のある人」と支援者の集団の中で過ごすことを前提にした専門スキルなんだと僕は考えている。
「やったこともないのに、言いたいこと言ってんなよ!」って言う人もいるだろう。
僕は20代30代を障害のある人たちの通所施設、放課後活動施設に費やしてきた結果として言っている。
放課後活動施設に関しては、自身で立ち上げ、責任者として運営をしていた。
言い出すとキリがないのだが、プロレス的支援の話はこの辺にしておき、冒頭で書いた、ガイドヘルパーが有する「上質な専門性」とはなんだろうか?
「障害のある子どもが地域の中で過ごす為の個別支援」に関する高度な知識と経験だと僕は考えている。
ガイドヘルプの現場ではそれが積み重ねらてきている。
ガイドヘルプの現場ではそれが積み重ねらてきている。
それも「決められた枠とルール」の支配する場(施設)ではなく、子どもの生活の中で活きた知識と現実的な経験を積み重ねている、だから「上質」だと僕は言う。
しかし、現状では、障害のある子どもたちは安心と閉ざされた場でのスキルに支えられた施設に押し込められている。
そして、そのことは地域の中で認識されているとは言い難い状況でもある。
しかし、現状では、障害のある子どもたちは安心と閉ざされた場でのスキルに支えられた施設に押し込められている。
そして、そのことは地域の中で認識されているとは言い難い状況でもある。
コメント
コメントを投稿