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僕の話 1

僕のお父さんは配管屋でした。
中村エンジュニアリングって会社をやってましま。
職人が対等に働ける、人から搾取されない会社が作りたいと言っていました。
って言うと、なんだか賢い人みたいですが、高卒で、飲む打つが大好きな普通の人だったと思います。

さて
僕のお祖父ちゃんは、元々は千葉の石川さんって家の子どもでした。
それがなぜか、東京の中村さんの家に養子に出されました。
東京の中村さんの家には子どもがいなかったから、貰われたらしいです。
でも、中村さんの子どもになったら、中村さんは子どもができて、石川さんからもらった子どもはいらなくなったそうです。
さて、千葉の石川さんは、そんなに豊かではなかったよので、あげた子どもが、いらないと言われても、帰ってきても困るな(-_-;)って感じだったそうです。
戦前の話し。
行く先がなくなった祖父は小岩で、配管屋を始めました。
配管屋はパイプを切る、繫ぐ、水を上から下に流すが出来れば出来るので、大工的な専門技術がなくても出来る仕事でした。
そして中村冷暖房って会社を作ります。
そして、浅草産まれの祖母と出会い結婚して、三女一男を授かります。
その一男が父です。そして終戦。
そして、戦後、父は頭が良くなかったので、城東一のバカ高校である関東一高に進学。
その頃に愚連隊になります。
よく解らないですが、存命の頃の父の話では「仲間は裏切るな」「仲間が死んだ(殺された)から愚連隊はやめた」と言っていました。
まあ、不良だったんでしょう。
そして母と出会います。
多分、ゴーゴー喫茶で。
母は、千葉は九十九里で産湯をつかった、元豪農の娘でした、、、
母は戦中に、体育が優れていて、盛農期は小学校、中学校に行けなかったのに、子どもの代表で戦中の日本軍の戦闘機の後部座席に乗せてもらったと、良く自慢していました。
戦後、多分、当時、もう貧農になった実家に居場所がなく、東京にでて来たのでしょう。
昼は女中、夜は主が経営するゴーゴー喫茶のお姉さんだったらしいです。そこで父と出会います。
今時で言えば、お坊っちゃんヤンキーとキャバ嬢の出会いなんでしょう、、、。


続きは、気が向いたら

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